さくらしめじ「かぜいろのめろでぃー」(3)願いのラインクリシェ

皆さま、お久しぶりでございます。すっかり日中は汗ばむ季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

ひさしぶりなので、さくらしめじの「おひさしぶりのうた」でも歌いたくなりますね。

最近、しめじたちの活動は表立っては見えてきませんが、きっと見えないところでがんばっていることでしょう。私も見えないところでがんばっておりました(笑)

さて、前回の「『かぜいろのめろでぃー』を編曲して叩いてみた」いかがだったでしょうか?CD音源化を待ちきれず、ついやってしまいましたが、つたない編曲と演奏ですみませんでした。少しは皆さまのしめじ不足を補うことができたでしょうか?またあの菌唱の感動を少しでも思い出していただくことができたでしょうか。

私は「かぜいろのめろでぃー」は5月中にも動画が公開されるなど、CD発売に向けて何らかの動きがあると思っていましたが、なかったですね。先に菌唱動画の公開でしょうか?

いずれにしてもゆっくりと待ちましょう。お聞きでないかたはしつこいようですがどうぞ。

 

あれからしばらくして、ついでにインストバージョンもつくりました。もしよかったらカラオケなどにどうぞ。(→5/30残念ながら削除されました。申し訳ありません。)

あ、そうそう、どちらの動画も、「字幕オン」してみてください。なんと!歌詞も出るようにしました!

さて、歌詞と言えば「かぜいろのめろでぃー」の歌詞、いいですよね。今回は少しこれを取り上げたいと思います。

 

「かぜいろのめろでぃー」の歌詞のもつ「願い」

何か行き詰まったときに寄り添ってくれるような歌詞ですよね。それを改めて、すこし味わいなおしてみたいと思います。

「大人になるほど笑えなくなるかな?」
「大人になるほど泣き虫になるの?」

「大人」というのは「わかったつもりになっている人」ですね。「人生はこうあるべきだ」と決めている人です。経験は豊富かもしれないけれど、その経験が逆に邪魔をして、自分の決めた価値観から抜け出せない。そしてその自分の価値観に振り回され、自分の価値観に行き詰まるのが「大人」です。

「こうあるべきだ」という「思い」から抜け出せないんですね。しかし実際は身の回りの様々なことに左右され、思いどおりにいかない。ですから「こうあるべき自分」と「現実の自分」のギャップに行きづまる訳ですね。

「現実」が行きづまるのではない、「思い」が行きづまっているのですね。

この歌は、そんな自分の凝り固まった「思い」を超えて、「現実」をそのまま認めてくれるのです。

「そのままでいいんだよなんてさ
教えてくれるからまた歩き出せるよ」

苦しい現実は何も変わっていない。だけど寄り添ってくれる人がいる。それだけで歩き出せる、ということがあります。

これだけでもとてもやさしい歌です。ところが、です。

 

二番ではさらにこういいます。

このままでいいんだよ なんてさ
やさしく包まれて安心できるんだ」

「その」「この」に変わっていますよね。「そのまま」というのは、ある意味ではすこし距離を感じます。一番で「あなたはそのままでいいんだよ」と教える、といっていますが、これはまだどこか、上から下への目線が残っているといえるかもしれません。「寄り添う側」と「寄り添われる側」があるというか。ところが「そのまま」ではなく「このまま」というのは、隣にぴったり寄り添っている感じですよね。同じところに立ってくれた。だから「やさしく包まれて」安心できるんですね。

「そのまま」は後にももう一度出てきますので、まだ揺れ動きますが、これだけでも安心できます。ところが、です。

 

最後です。

「このままがいいんだよ なんてさ
歌っていたいんだ」

ん?気づかれましたでしょうか。「このままいい」「このままいい」に変わっているのです。ここに大きな転換があると思うのです。

その鍵は次の歌詞にあるのではないでしょうか。

「不安や迷いも全部全部
含めて君なんじゃないかな」

「そのままいい」「このままいい」というのは、どこか妥協していますよね。「ほんとうはもっとこうありたいんだけど、まあ、このままいい」みたいなね。だから「不安や迷い」は見ないことにしてごまかしているところがあります。

けれども「このままいい」というのはとても積極的です。それは不安や迷いも含めて君だ、といってくれたからです。不安や迷いという一見価値がないように見えることに、「それも大事な君だ」といってくれたのです。

「不安や迷いがあるけど」君だ、じゃない。「不安や迷いがあるから」君だ、なのです。

例えば、将来学校の先生になりたいけど、学校の勉強ができなくて悩んでいる子がいるとします。そこで「あの子は勉強はできないけど、やさしい」といったとしたら、ほめているようだけど「勉強ができない」ことはただマイナスのままです。けれども、「あの子は勉強ができないから(こそ)、将来勉強ができない子の気持ちがわかるいい先生になる」といったらどうでしょう。「勉強ができない」という一見マイナスのことに、人の気持ちがわかる、ということにつながるような、とても大切な意味が見えてきますよね。「勉強ができる」ことが良いことだ、という価値観しかない「大人」にはわからないことです。「大人」はそうして自分自身の見方にがんじがらめになり、自分や相手の価値を勝手にきめて、その評価ばかりに気を取られて、世の中が生きにくくなるのです。

ですから、一見マイナスに見えることのもつ大事な意味に気づかせてくれる声(風)は、とても力になります。それは能力に左右されない、「君がここにいていい理由」になるのです。

「僕が君の背中 押せるような風になってみたい」

どんな君も大切なんだ、ということを知らせてくれる風ですね。誰かが決めた価値ではなく、ほんとうに大事なことに気づいてほしいという、「願い」の力といってもいいかもしれません。その願いの力が人を歩ませる、ということがあります。

ですから最後は「このままいい」ではなく「このままいい」と歌っていたい、というのではないでしょうか。それは自分について言うならば「不安や迷いがある私がほんとうの私だ」という自己肯定の表明です。「願い」に答えたのです。相手に言うならば「どんな君も君なんだ」「どんな君も大切だということ、他のだれも知らなくても僕は知っているよ」という無条件の肯定です。だから、行き詰まっていた私が、この身のままに前に歩んでゆきたい、といえる力を与えてくれる歌詞になっているのではないでしょうか。

 

コード進行に表れる歌詞の展開

実はこれは「コード進行」にも表れているのではないかと思うのです。
曲全体のコード進行はだいたいこうなっています。

最後の「このままがいいんだよ」のところだけ、コード(和音)が変わっているのがわかるかと思います。とくにルート(和音の構成音の一番低い音。ベースが弾くような音)が変わっているのです。そこだけとりだしたのが下の図です。


最後だけ分数コードというコードにすることによって、ベース音が半音ずつ下がるようになっているのです。これを「ラインクリシェ」といいます。これは場面を展開させ感動的にする効果があります。ですから、歌詞の願いが込められた「願いのラインクリシェ」といえるのではないでしょうか?

簡単な解説動画をつくりましたので、以下をご覧ください。とくにベース音に注目して聞いてみてください

*ちなみに、ここはもとのコードFmaj7を分数コードにしてFmaj7/Gb(F#)でもよかったのですが、F7/Gb(F#)ともとのコードも少し変えました。その方が展開がはっきりすると思ったので。菌唱ではどっちだったかはわかりませんが、ラインクリシェしていたことは確かだと思います。これはギターだけの演奏のLINE動画などではわかりませんのでご注意ください。またCD音源ではどうなるかわかりませんので、その点もご了承ください。ラインクリシェは、他には「きのうのゆめ」などにも使われています。探してみてください。

 

ハモりに表れる寄り添いの姿

最後に少しつけ加えれば、CDではどうなるかわかりませんが、LINE動画ではこの部分、一番、二番はハモっていたのに、最後の「このままがいいんだよ」はハモりがなかったですよね。これも、ひょっとしたら、寄り添う側と寄り添われる側、どちらかがどちらかを助けるというのではなく、助けていると思っている側も助けられている、という、立場を超えて一体となって歩む姿を表しているのかもしれません。

 

というわけで、歌詞と音楽が一体となって、私たちに伝えているメッセージは何か、ということを少し考えてみました。

次回は、「『こんこんずし』の秘密」もしくは「『ふうせんはなび』のアレ」だと思います。お楽しみに!

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